幸せの探求〜身近なモノと向き合う
みなさん、こんにちは。
ズボラにハッピーライフ、会社員まいしむです。
今回はちょっと趣向が違いますが、ふとした事をきっかけに自分の人生観について再考することがあったので、ちょろっと綴ります。
これといったまとまりのない話ですが、なんとなく文字にしておきたかったので。
近所の老舗スーパー閉店セールを見て
通勤時の道なりにある近所の老舗スーパーが閉店セールをやっていました。
私は今の街に住んでまだ半年程度なので、詳しいことはわかりませんが
店構えや看板等の雰囲気から察するに、
結構昔からあるお店なんだろうなぁと感じていました。
でも近隣には有名チェーン店もいくつかありますので、恐らく顧客をとられて苦しくなったのかなと…(勝手な推測ですが)
▶︎前を歩く親子が
そんな中、
前を歩くお母さんと小さな娘さんが
娘「なんで、お店無くなっちゃうの?」
母「なんでだろうね。」
娘「…」
こんなやり取りをしていました。
それを聞いて
なんだかんだ、色んな人の思い出が詰まっているお店なんだろうな
いつもよくお母さんと通ったとか …
いつもよく夫婦で通ったとか…
etc…
そんなことを想像していたら、自分の思い出は特にないのになんだかちょっと寂しい気持ちになりました。
人やモノはいつか無くなる
老舗を救う救わないとかの話ではなく、
身の周りの環境は突然姿を変えることを覚悟しておかないとな
と改めて考えさせられた訳です。
私は自分の人生のテーマに
「身近な幸せを感じる余裕を持つ」
ということを置いています。
その根本的な理由がコレ。
当たり前の話
人・物・景色など(以下、総じてモノとします)は不変不滅ではありません。 ※自分自身も含め
故に、大切なモノ、好きなモノは触れていられる内に、しっかりとその価値・幸せを噛み締めておきたいなと思っています。
忙しかったりすると、ついつい存在するのが日常、当たり前の事とないがしろにしがち。
そして将来の夢・幸せを掴みにいこうと努力しているときにも、見失いがち。
でも
✔︎落ち着くまで幸せと向き合わないのか?
→落ち着くことはあるのか?
✔︎将来その夢・幸せを掴んだ時、それを幸せと感じているだろうか?
→その時はそれを日常と捉えているのではないか?
などと自問自答したときに
結局は今の自分にとって身近な幸せと向き合わないと、心身ともに充実した人生って実現しにくいのかな
とも思うわけです。
ましてそれは
不変不滅なモノではなく意に反して突然失うかもしれない。
そう思うと、
今日というこの日から向き合わないとなと。
たとえ日々しっかり向き合っていたとしても、失った時の喪失感、悲しみ、寂しさは拭えません。
でも、失ってから気付くことだけは避けたい。
だから、私は今日も身の周りの幸せに感謝しつつ、しっかりそれを意識して生きていこうと思うのです。
老舗店の閉店を目にしたのをきっかけに、だいぶ飛躍しましたが…
今日はそんなことを考えつつ会社に向かったのでした。
それでは、今日の幸せが明日も続くことを願いつつ、ズボラにハッピーライフ。
また次回、bye-bye
まいしむ